一人の農民から始まったブドウ栽培
「田んぼん木を植ゆるばかがおるげな(田んぼに木を植えるばかがいるか)」と言われながら宮崎県・都農町のぶどう栽培は、一人の農民が田んぼにブドウの木を植えたことからはじまりました。戦後まもなく、お米に変わる転換作物として、稲作に頼らない豊かな農業経営を理想として果樹栽培が都農町の農家「永友百二氏」によって始まります。以来、宮崎の温暖な気候を利用して、夏の果物として全国にブドウの出荷をしてきました。そして、その志を継いだ地元住民の長年の夢でもあったワイン造りを実現するため、1996年11月都農ワイナリーがオープンします。現在はキャンベル・アーリー、マスカット・ベーリーAを中心に宮崎の新たな地酒として様々なワインを販売しています。
同社では以下の3つの信念を持ち日々ワイン造りに励んでいます。
- この土地のブドウの個性を活かしたワインづくり
- チャレンジを忘れない
- ワインは地酒
海の見える丘の上で地元産ブドウ100%を使ったワイン造りをしています。地元のブドウ、キャンベル・アーリーを中心に国内外のコンテストで多数受賞するなど、宮崎の豊かな日照を活かしたワイン造りをしています。また、自社管理畑の8.5haでは、シャルドネやシラーを中心に国際品種にも着手。土作りや草生栽培など独自の技術で栽培しワインを造っています。ワインは地酒であるべきと考え、地元の方々に愛されるワイナリーを目指しています。
愛着が持てる土壌
活火山のある桜島の近くにある宮崎県の一帯では火山灰土壌であることが特徴です。この火山灰土壌は宮崎県では「アカホヤ」と呼ばれ、南九州を中心に日本に点在する特殊な火山灰土壌になります。この土壌は強酸性土壌となり、酸性土壌に弱いブドウがここに根を張ると枯れてしまうこともあります。都農ワインでもいくつかの場所でこの「アカホヤ」の被害にあったことがありますが、畑を構える牧内ではこのアカホヤがないことがわかりました。宮崎でも有数のまさにブドウ栽培を「自然」に許された土地なのです。
またこの土地には尾鈴山から流れる冷たい地下水の水路があり、地温が低いことも有利に働きます。ヴェレゾン期(着色期)には昼夜の寒暖差がしっかりあることが、ブドウが完熟する大きな条件になります。都農ワインの牧内ヴィンヤードは、この地温が低いお陰で日本の南に位置する南国宮崎の土地でもしっかりと寒暖差を確保することができ、しっかりと熟したブドウを採ることが可能なのです。
このように一見、不利な状況でブドウ栽培をしていると思いながらも、自分たちのブドウ栽培は自然の恩恵受けていると理解を深めることで、この都農という土地に「愛着」を持って、ワイン造りが出来ると考えるようになりました。
自分達の土地に誇りを持つことで地元はもちろん、日本中に愛される地酒(ワイン)となると信じています。
ワイナリーの敷地の程近い標高200mの牧内台地に都農ワインのブドウ畑はあります。土壌表土は火山灰土壌で台地の基盤は、1500万年前の溶結凝灰岩で、その岩が風化してできた土壌になっています。また、基盤上部には、角礫や粘土を含む土壌中に、海底で角の取れたチャートという硬く白い円礫を含む段丘礫層に覆われ、35万年前は海底であったことがわかりました。
「良いブドウが造る良いワイン」を目指す都農ワインでは健全なブドウを栽培することを心掛けています。自社農園の栽培ではカリウム不足を補う土作りを行い、食用ブドウではあまり行われなかった草生栽培をします。また一部、ビオディナミの手法にも習い、月の満ち欠けに沿った栽培管理や減農薬で化学農薬を極力減らすなど常識には捉われないブドウ造りを行います。